教団について

基本情報

名称日本フリーメソジスト教団
法人種類包括宗教法人
所在地〒631-0002
奈良県 奈良市 東登美ケ丘2-13-1
創立1984年
代表者馬場 一朗(理事長)
WEBサイトhttps://fmcjp.org

日本フリーメソジスト教団の沿革

フリーメソジスト教会は、1860年、北米のメソジスト監督教会から分離したB・T・ロバーツたちによって結成された。日本では1896(明治29)年、柿原正次、河辺貞吉らによってその伝道が開始され、関西を中心に各地に教会が設立されたのが日本自由メソヂスト教会の始まりである。やがて1941(昭和16)年、日本基督教団の設立に際してこれに参加したが、1952(昭和27)年には,フリーメソジストの信仰と機構をもって再出発すべく、元自由メソヂストに属した諸教会は同教団を離れて日本自由メソヂスト教団を再建した。1984年4月、アルミニアン・メソジスト主義の立場に立つことを願う諸教会は、従来の教団から分かれて日本フリーメソジスト教団を設立した。

その教義

日本フリーメソジスト教団の信仰の立場は、その教憲および信仰箇条に明示されている。教理においては、福音的アルミニアン・プロテスタント主義の標準的信仰に立ち、ジョン・ウェスレーが主張した全き聖化についての聖書の教えを明確に強調している。

フリーメソジスト教会共通教憲

「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(使徒言行録20:28新共同訳聖書)

わたしたちの宣教(MissionStatement)

「神を愛し、人々を愛し、弟子を造る」

わたしたちのヴィジョン(VisionStatement)

「聖い民による健全な聖書的共同体を通して、聖書的完全を世界にもたらし、弟子、指導者、集会と教会を増加する。」

序文:フリーメソジスト教会の目的と性格

フリーメソジスト教会は、次の三つの枠組みを知ることによって、最もよく理解することができる。すなわち、教会についての聖書的概念、教会の歴史的伝統から来る見解、そして人間の必要に責任をもって応えて行こうとする教会の姿勢である。

A.教会についての聖書的概念

教会が神のものであり、また人々のために存在しているということは、聖書から明らかである。教会は神の創造によるものであり、キリストがそのかしらである。教会は神の民であって、地上において神のみ旨を完成させるための同労者として選ばれたものである。新約聖書には、教会に関する80以上もの比喩や描写がある。それらの一つ一つは、私たちが心に描くイメージよりも、もっと深い教会の実体を表現している。これらの描写が重ね合わされて、教会の性質と使命が明らかに示されているのである。パウロは教会のことを、「からだ」「建物」また「花嫁」として語っている。その中で、もっとも包括的で意義深い比喩は、「キリストのからだ」である。あがなわれた人々は、「からだの肢体」として語られている。
それでは、これらの多くの言葉による描写が伝えようとする深い真理とは何か。神-すなわち、父と子と聖霊-は、あがなわれた人々をご自分の活動に参与させ、その目的を実現するために、神と共に働くものとされるのである。教会は、人間と社会を造り変えるために、神が選んだ有機的、共同体的な機関である。教会は神聖な愛に基づく使命を持っている。教会は、人間のうちに、またその組織の中に、キリストの似姿を造り出すために存在している。このように教会の使命は、人間の罪、苦悩、必要を担うために、聖さと愛をもたらそうとする神の働きに参与することであると言えよう。このような教会の使命は、個人的であると共に社会的である。それは、人間の神に対する関係と、人間相互の関係に向けられていて、聖書の中で「神の国」として描かれているものである。
新約聖書の比喩は、受肉-すなわち、神が肉体をとられたという、最も偉大な出来事の描写によって重要性を付与されている。教会は、受肉の出来事によって啓発され、この世において主の教えと奉仕を継承しているのである。
教会は、主の導きと聖霊の霊感のもとに行動するとき、使徒言行録において始められた歴史を継続しているのである。第一世紀以来、教会は多くのすばらしい業績を残してきたが、これからも、あがなわれた人々を通して繰り広げられる聖霊行伝のドラマにおいて、さらに多くのことが実現されて行くことであろう。
新約聖書は、目に見える教会が理想の教会ではないことを示している。なぜなら、教会は神と人間との協力によるものであって、その創始者の聖い愛に与かっているだけではなく、人間性の汚れをも分かち持っており、絶えず更新を必要としているものだからである。神は、創造のわざにおいて人間に自由を与えられたと同様に、あがないのわざにおいても教会に自由を与えるという冒険をされる。それはちょうど、聖霊なる神が特別な奇蹟を行なわれるときに使徒パウロの手を用いられたように、今日も神は教会を用いられるのである。そして、その結果は昔と同じであろう。すなわち「主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」(使徒19:20)。

B.歴史的遺産と見解

フリーメソジストは、使徒言行録およびその他の新約聖書諸巻に記録された教会の歴史を、自分たちの第一の遺産と考える。彼らは、代々この記録から、教会の進むべき方向と更新の主要な源泉を引き出してきた。神に従う人々は、現在と同様、幾世紀にわたって、新旧の諸問題と取り組んできた。教会史の全体が、私たちにとって、教訓の源泉なのである。
フリーメソジストは、大まかに説明すると、次のような福音的キリスト教の系統を受け継いできた教会であると自認している。私たちは、個人的な深い敬虔に生きたあらゆる時代の男女の信仰者たちから、その霊的遺産を継承している。彼らは、異教、背教、そしてしばしば起こる既成教会の堕落のただ中にあっても、霊的な情熱の輝きを維持することができるということを、時代を越えて証ししてきたのである。
フリーメソジスト教会の系図は、まず旧・新約聖書における神の民に始まり、次に示すような西欧キリスト教における幾多の信仰復興運動からの影響や貢献を受入れてきた。すなわち、ウィクリフやドイツ・モラビアン(ウェスレーは彼らから「聖霊のあかし」の概念を学んだ)、16世紀の宗教改革とそれに対抗して起こった多くの信仰復興運動--その中でも大きなものはアルミニアンによる神学的修正意見の主張であった(それによると、キリストの救いは制限なしに全人類のためであり、個人の自由意志によって選び取られねばならないと教えた)--、カトリック教会・英国国教会の伝統、イギリスのピューリタニズムの影響、メソジストの伝統、その系統から起こった19世紀の厳格なホーリネス運動。神は、変わることなきキリスト教の福音をいっそう明確に知らしめるために時代を越えて、他のものと共に上述の信仰復興運動を用いられたのである。要するに、フリーメソジストは、独特の福音的・霊的な強調を維持しつつ、キリスト教会の歴史の本流の中で発展してきたのである。
教会史がフリーメソジスト教会の発展に貢献したことがらを以下に詳しく説明する。
宗教改革の遺産は、聖書を信仰と生活の最高の軌範として受入れること、そして、救いは信仰により恵みによるという教理を受け入れることに反映されている。
カトリック教会・英国国教会の遺産は、教会制度への関心と礼拝式の様式(注1)への高い評価に見られる。信仰の基本を強調することは、バプテスマの様式や千年王国などの問題に関する様々な見解に対して、開かれた寛容な態度を取ることを可能にしている。
メソジストの遺産は、ジョン・ウェスレーと彼の同僚たちによって18世紀に明確に打ち出され、そして19世紀のホーリネス運動によって再確認された神学的、教会的、社会的関心において示されている。
神学的にフリーメソジストは、キリストにおいて人間を救いたもう神の愛を強調するウェスレアン・アルミニアンの教えを受け入れる。先行の恩恵によって、神は人間ひとりびとりをご自分のもとに連れ戻そうと働きかけられるが、救いを受け入れるか退けるかの責任は、各人に与えられるのである。救いとは、イエス・キリストにある神との生きた関係であって、信仰者に法的な義人の立場を与え、それゆえに引き続き神との交わりに留まるすべての者の救いの確かさを確証するのである。救いは万人に普遍的に提供されているということを強調するアルミニアンの教えと共に、ジョン・ウェスレーは聖霊の証しによる確証の原理を再発見した。彼は、聖書に支持されて、次のようなことをすることができる神への信頼を宣言した。すなわち、信仰者の心を、今、ここで、罪から潔め、聖霊によって満たし、全世界における神の働き(注2)を実行に移すために彼らに力を与えることがおできになる神、そのような神を信頼するようにと宣言したのである。ジョン・ウェスレーは、自分と弟のチャールズについて次のように書いている。「1729年、イギリスで二人の青年が聖書を読み、きよくならなければ救われないことを知り、みずからこれを追求すると共に、他の人々にもそうするように勧めた。1737年、彼らは、これと同様に、人はきよめられる前に義とされるということを知った。しかもなお、彼らの目的は、きよくなることであった。こうして神は、ひとつの聖なる民を起こそうとして彼らを遣わされたのである」。
教会的にメソジストの遺産は、フリーメソジストの機構に継承されている。その最も基礎となる「ソサエティ」と呼ばれたものは、フリーメソジストの機構では地域教会にあたる。初期メソジストにおいては、地域教会と呼ばれたものがソサエティに変化していった。地域教会がこの世のソサエティとは違う「ソサエティ」の構成要素となった。したがって、以下のページで私たちは「ソサエティ」という用語をそのような背景でのフリーメソジスト教会を指すものとして用いる。
責任の系統は、地域レベル、地区レベル、総会レベル、教派レベルのそれぞれの働きを結合している。小グループの信仰者たちは、クリスチャン生活と奉仕における成長に、互いに責任を負い合っている。フリーメソジスト教会は、地域教会だけではなく、全体としての教会に関心を持っている。彼らは、教団としての教会に助言を与え指導を行なう監督、地区監督、牧師、信徒リーダーの指導を重要な働きと考える。
自由社会に発達した国民の代表政府を持つ時代に生れたフリーメソジストの創立者たちは、信徒の奉仕の重要性についての聖書的原則を再確認した。フリーメソジストは、特別な奉仕のために、按手を受けていない人々が必要であることを認め、彼らに免許を与える。フリーメソジストは、教会諸会議において、教職と同数の信徒代議員を持つように命じている。
社会的にフリーメソジストは初期の頃から、初期ウェスレアン運動に特長的な覚めた良心を示してきた。奴隷制度と、裕福な人々に教会座席を賃貸することに表されている階級差別の問題に対してとった彼らの大胆な行動は、真のメソジズムの精神を表している。時代と共に問題は変わっても、鋭敏な社会的良心は変わらない。それは、彼らが時代の社会的関心に、活動的に参与し続けてゆくことよって、明らかに認められる。
19世紀に、ホーリネス運動が、アメリカ・メソジズムの中に興ったが、それは他の国や教派に広まり、クリスチャンたちに呼びかけ、神との関係の更に深いレベルに導くと共に、苦しむ人類の必要に対する深い関心へと導いた。このような歴史的背景の中で、ベンジャミン・T・ロバーツと他の教職、信徒たちは、ニューヨーク州西部で開かれたメソジスト監督教会のジェネシー年会において、(教団の)神学的自由主義、緊急に解決しなければならない社会的問題に対する不健全な妥協、そして霊的熱心さの欠如に対して抗議の声をあげた。
1858年から1860年の間に、多くのこれらの指導者たちは、様々な非難や根拠のない訴えによって、メソジスト監督教会から除名された。しかし実際は、彼らの主張するメソジズムの基本原理、特に全き聖化(注3)の教理と体験こそが主要な問題であった。1860年5月の総会への上告も却下されてしまった。これらの除名された人々は、他のどのメソジストの団体にも加入できなかった。それは、彼らが強く主張してきた問題について、誰ひとり同意する者がいなかったからである。こういう訳で、ニューヨーク州ナイアガラ郡ペキンに集合した信徒会員と教職は会議を開き、ここにフリーメソジスト教会が結成された。1860年8月23日のことであった。その第一回総会は、1862年10月第二水曜日、イリノイ州セント・チャールズで開かれた。
フリーメソジスト教会は、結成以来、対外的宣教事業を行ない、次々と総会を設立し、また世界的機構を構築してゆくことによって拡大し続けている。

C.人間の必要

フリーメソジスト教会は、人間や制度、そして様々な文化に有効に、また救いをもたらすような仕方で奉仕をするために、それらがもっとも必要とするものは何であるかを理解しようと努めている。イエス・キリストは大祭司としての祈りの中で、この世の人々がキリストを「知り」また「信じる」に至るように、信仰者たちがこの世で活動的かつ勤勉に生活するようにと命じられた。
フリーメソジスト教会は、この世には人々の品性を低下させ、善を踏み躙じり、人間と制度を破滅に導くような、悪魔的力が存在することを知っている。教会は、非人格化の進む時代の中で、人格としての個人の意義を回復することによって、人々を助けようとする。
フリーメソジスト教会は、神にかたどって造られた個人の尊厳を損なうような法律・人々・制度を、たとえそれがいかなるものであろうとも公然と非難する。私たちは、個人として、また地域教会、年会および教団として、あらゆる機会をとらえて、この世で、癒やしと救いに役立つような奉仕のために、自らを献げる。

D.独特な原則

フリーメソジスト教会は、イエス・キリストの教会についての概念・その歴史的見解・そして人間の必要を、具体的な原則と献身によって表わそうと努める。
フリーメソジスト教会は、第一世紀のキリスト教の使命を今日も継続することを求めている。このことは、「きよい民を起こすために」存在していると宣言したジョン・ウェスレーと初期のメソジスト信徒によって回復されたものである。
フリーメソジスト教会は、天国に入ろうと熱心に励むと共に、すべての人々を救いに導くために、この世で救いの働きに献身しているクリスチャンの交わりである。私たちは、他のすべてのことに勝って、キリストとその教会に献身しようとするものである。私たちは、私たちの最高の忠誠心を奪おうとして、キリストと競合するような人間的きずなから、また三位一体の信仰と神の恵みへの信頼を効果的に証しすることを妨げ、妥協に到らせるようなすべてのことから自由でありたいと願い、自らを守る。クリスチャンは自分自身を捨て、日々自分の十字架を負い、イエスに従う。私たちは、み言葉において示されている神のご意志のすべてに従い、救いの条件は今も使徒の時代と同じであると信じる。
教理において、フリーメソジストの信仰は、福音的アルミニアン・プロテスタント主義の標準的信仰に立ち、それと共にジョン・ウェスレーが主張した全き聖化についての霊的教えを特に強調する。
体験において、フリーメソジストは、全き聖化の教理が真理であることを証明する、内的なきよめと力の現実性を強調する。それは、信仰者の内面的意識と外面的生活の両面において明らかになる。
その礼拝の特長は、精巧な儀式に拘束されず、聖霊による単純さと自由さにある。
フリーメソジストは、毎日、キリストへの献身の生活を守る。この生活は、内心のきよめから湧き出てきて、クリスチャンがこの世に生きている間にも、なお彼らをこの世から聖め別つのである。世俗的な影響が教会に入って来ることを防ぐ最もよい方法は、教会が率先して、あがないを目的としてこの世に入って行くことであると、私たちは信じる。
フリーメソジストは、神と人に仕えるために、持っているすべての力と所有物とを、聖別して完全に捧げようと努める。私たちは、教会の使命の重大さをかたく信じているので、財政において責任あるスチュワードシップを実践する責任があると自覚している。それゆえ、私たちは、キリストの働きを支えるために、商業的手段に訴える必要はない。
フリーメソジストは、奉仕とリーダーシップの賜物を、神が男性と女性の両方に与えられたと理解する。男性と女性の両方が神のかたちに創造されたことは、女性と男性が教会のすべてのレベルで協力して働くことに反映される。それゆえ、教会におけるすべての立場は、神が召されたならば、男性にも女性にも開かれている。
フリーメソジストは、貧しい人々に福音を伝えなければならないという、特別な責任を感じている。福音はすべての人のために提供されている。「喜びの音信(おとづれ)」は、全人類の一人一人に宣べ伝えられなければならない。神は、すべての人の心を照らし溶かすために、まことの光を送られた。この偉大な救いは、未開人にも文明人にも、奴隷にも自由人にも、黒人にも白人にも、無知な者にも知識ある者にも、無代価で提供されている。イエスは模範を示しておられる。イエスの働きについて次のように記されている、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(マタイ11:5)。この「貧しい人々への宣教」は、イエスが来るべき方であるということの最上の証明であった。この点において、教会はイエスの足跡に従わなければならない。
フリーメソジストは、その生活様式として、新約聖書において理想とされている簡素で慎み深い生活に励む。私たちは、自分自身にではなく、私たちの主に意識を集中したいと願っている。
これらのフリーメソジスト教会の特質は、その発祥以来のものであり、今日もなお生きている。どのような時代、どのような地にあっても、これらの特質こそは教会の証しであり、それらは、混乱と迷妄に満ちている世界のただ中で、人々に聞かれ、心に留められるように、明瞭に、力強く語られなければならない。

E.フリーメソジストの道

フリーメソジストは、何よりもまず神の国の市民である。しかし、教会の歴史を通じて神は、より大きなキリストの体を豊かにするために、私たちのような独特の運動を起こされた。ジョン・ウェスレーとB.T.ロバーツの遺産の上に建て上げられ、しかも神が今日どこに進もうとしているのかを常に見定めるので、私たちのアイデンティティは、歴史的かつ未来志向的な価値観によって形作られている。私たちが大切にしている多くの価値観のうち、これら五つが私たちの運動の中心にある。私たちはそれらを一つの全体として捉え、それぞれが他のものに必要なバランスをもたらす。わが国の二極化が進む時代において、私たちは原理主義と神学的自由主義の両方への誘惑に抵抗するが、それは妥協の精神からではなく、ウェスレーの言う「中道」への徹底的な取り組みからである。それは福音全体を真剣に受け止め、「あれかこれかの」の世界において、「両方」の確信へと絶えず私たちに呼びかける道である。私たちはそれを「フリーメソジストの道」(FreeMethodistWay)と呼んでいる。

命を与えるホーリネス(聖さ)

ホーリネス(聖さ)への神の呼びかけは、決して重荷となることを意図したものではなく、私たちを罪の破壊的な力から救い出すことによって、真の命である人生に私たちを解放する贈り物である。
新しく生まれた人は皆、イエス・キリストにより完成した働きによって神との関係において正しいものとされ、内住する聖霊の満ち足りた臨在を体験するよう招かれている。
罪赦され、聖霊に満たされた私たちは、神が私たちの性格や行動を変え続けて、ますますイエスに似る者とされ、私たちは神に受け入れられているという確信を持って命にむかって進むのである。したがって、命を与えるホーリネス(聖さ)は、私たちの人生のあらゆる局面に対する神の愛に満ちたご支配に完全に身を委ね、私たちの中にまことの愛である愛を確立することの成果なのである。
かつて私たちの運動を妨げていた律法主義を捨て、「フリーメソジストの道」はすべての信徒に、喜びに満ちた従順の中で、神と他者を愛し、仕える力を与える聖霊の変革の働きを受け入れるよう勧める。

愛に突き動かされる正義

愛は、すべての男性、女性、子供たちの中にある神の似姿を高く評価し、抑圧されている人々に対して思いやりを持って行動し、抑圧に抵抗し、被造物を管理することによって、正義を求める神の心を具現化する方法である。
私たちは、奴隷制の悪、貧しい人々の抑圧、女性の社会的疎外、教会における権力の乱用に対して立ち上がった創設者たちの不正義問題に関する深い信念に全力を注ぐ。正義を求める私たちの心は、胎児、弱者、抑圧され、社会から疎外されている人々、そしてあらゆる人種や民族の人々に対する神の聖なる愛によって燃やされ、今日も継続し、拡大している。
「フリーメソジストの道」は、より良い社会を実現するだけでなく、神の公正なご性質を反映する仕方で、すべての人が神と、また人と人が、互いに和解することを目的としている。

キリストが押し進める増殖運動

イエス・キリストの福音、イエスが宣べ伝えたメッセージ、イエスが生きた生涯、模範となった奉仕活動は、全地を満たすべく、救いの運動を引き起こした。イエスの弟子を育成するためのアプローチは、基本的に関係性におけるものであり、イエスはその命/人生を少数の人々に注ぎ込み、彼らがイエスの模範に従うことを十分に期待したのである。イエスの目的は単に情報を伝達することではなく、彼に従う人々に力を付与して、イエスがしてきたことを実行できるようにして、人生を変えることであった。イエスの使命は、今や私たちの使命である。私たちは、この救いの増殖運動がすべての信者に当てはまるものであり、あらゆるレベルでフリーメソジスト文化に浸透すべきであると信じる。見出された人は失われた人に手を差し伸べ、弟子は弟子を作り、指導者は指導者を育て、教会は教会を設立し、運動は運動を生み出すのである。
「フリーメソジストの道」は、神の国が飛躍的に拡大するのを見ることである。なぜなら、普通の人々が神の力によって途方もないことをする能力を備えられるからである。

異文化間のコラボレーション(共同作業)

神の意図は初めから、すべての国民、文化、民族からの人々がキリストにおいて一つとされ、世界で神の働きを遂行するよう委託されることであった。
今日、私たちは米国と世界100か国以上の多文化、多民族からなる教会の美しさを慶賀している。米国では、神の国の似姿のような、より多様な教会を目指すことに専念する時に、キリストにあって一つにされているという約束に堅く立っているのである。世界的には、私たちは宣教師を他国に派遣し続けているが、それと共に多くの国々が私たちのもとに来ることを喜んでいる。私たちは、自分の賜物や資源を自由に分かち合いながら、国際的な兄弟姉妹たちの忠実さ、忍耐力、絶え間ない祈り、神学的洞察力、霊的知恵によってチャレンジを受け、霊的洞察を受けている。私たちは、共にいることによって大きな益を受けていることは、間違いない。
「フリーメソジストの道」は、あらゆる方言、部族、民族、国語からの大勢の人々が、神の御座の前に永遠の群衆を構成する日を望み見て、神の世界的な働きにおける協力的なパートナーシップを支持し、植民地主義と民族中心主義を超えて進むことを目指している(黙示録7:9)。

神から与えられた啓示

私たちは、聖書が霊感による神の言葉であり、信仰と実践のすべての事柄における私たちの最終的な権威であるという確信を揺るぎなく保持する。
私たちは、伝統、理性、経験というレンズを通して聖書に取り組むというウェスレアンの伝統を活かし、聖書を最も重要と考える。教会は、文化的な力学に敏感を感じつつ、聖書の真理を正しく伝え、適用するという使命を常に負わされているが、私たちは、時代を超越した聖書の真理を、文化的規範や社会的流行に従属させることはしない。
「フリーメソジストの道」とは、私たちの生活と運動を、神の御言葉という揺るぎない基盤に完全に適合させることである。

第1章フリーメソジスト教会教憲

前文

第100条:アルミニアン・ウェスレアン主義の伝統に立つ福音主義者である私たちに伝えられた教理とクリスチャン生活の原則の遺産を、私たちが賢明に保持し、後世に伝えるために、また、健全な原則と教会的政治にのっとって、教会の秩序を堅く保つために、そして、世界の福音化への道を開き、人々の中にキリストの御国が進展する中で、キリスト教会の枝である他の団体といっそう効果的な協力体制を築くために、私たちフリーメソジスト教会の教職と信徒会員は、教憲に規定された手続きに従って、フリーメソジスト教会の教憲をここに、以下の通り認定し、制定し、公布する。

A.信仰箇条

1聖なる三位一体

第102条:すべてのものの創造者であり保持者である、唯一の生けるまことの神がおられる。この神は唯一でありつつ、そのうちに父、子、聖霊という三つの位格を持っておられる。これら三位の神は、永遠性、神性、目的において一つであり、力と知恵と愛は無限で、永遠に続く。

2子なる神

受肉

第103条:神ご自身が、人間をご自分と和解させるために、イエス・キリストのうちにおられた。イエス・キリストは、聖霊によって宿り、処女マリアより生れ、そのようにして神性と人性とをひとつに結び合わされた。ナザレのイエスは人間の肉体をもった神であり、まことの神であり、まことの人であった。彼は、私たちを救うために来られた。実に私たちのために、神の子は苦しみ、十字架につけられ、死んで葬られた。キリストは、私たちの罪と罪科のために、何のけがれもない犠牲の供え物として、ご自分の命を捧げられた。私たちは、イエス・キリストこそ私たちの救い主であり、神と人との完全な仲保者であることを、感謝をもって告白する。

復活と高挙

第104条:イエス・キリストは、勝利のうちに死より復活された。彼の復活の体は、普通の人間的な制約には拘束されない、より栄光に満ちたものとなった。こうして彼は天に昇られた。彼はそこで、高く挙げられた私たちの主として、父なる神の右に座り、彼の敵がすべて完全に服従させられるまで、私たちのためにそこで執り成しておられる。彼はすべての人を審くため、帰って来られる。その時、あらゆるものが膝をかがめ、またあらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するであろう。

3聖霊

その人格

第105条:聖霊は、三位一体の第三位格の方であられる。彼は父と子より出て、父と子と一体であり、その神性、尊厳、能力は共に等しく、永遠の神であられる。彼は、創造のみわざ、生命を与え保持する働き、そして教会の活動において、力強く働かれる神である。イエス・キリストの受肉とご奉仕は、聖霊によって成し遂げられたのである。彼は、今日にいたるまで、み子を啓示し、私たちに理解できるように教え、その栄光を表しておられる。

救いにおける働き

第106条:聖霊は、父なる神によって計画され、み子の死と復活と昇天によって備えられた救いを、実際に執行される方である。聖霊は、私たちを確信させ、新生させ、聖化し、栄化することにおいて、力強く働かれる神である。
彼は、いつも共にいて下さる主ご自身であり、信仰者に内住し、確信を与え、力を与えて下さる。

教会との関係

第107条:聖霊は、父なる神とみ子によって、教会に注がれている。聖霊は教会の生命であり、証しの力である。聖霊は、信仰者を神の愛によって満たし、彼のうちにイエス・キリストの主権を確立し、その結果、御霊による言葉と奉仕の賜物が、主にある公共の益を造り出し、教会を建て、成長させるのである。この世との関係においては、聖霊は真理の御霊であり、神のみ言葉を用いて働かれる。

4聖書

権威

第108条:聖書は、聖霊によって独特な仕方で霊感され、記録された神の言葉である。聖書は、生けるみ言葉であるイエス・キリストについての、誤りのない証しを与えるものである。初代教会とそれに続く教会会議によって確認されたように、聖書は信頼に値する神の啓示の記録であり、それが宣言することは、すべて完全に真理である。聖書は今に到るまで、忠実に保存されて来ており、また人間の経験に照らしても、それ自体真理であることを証明している。聖書は、神によって感動させられた人間の著者によって書かれて、私たちに伝えられた。その著者たちは、彼らが生きたそれぞれの時代の言語と文学様式を用いて書いたのである。それ以来神は、このみ言葉を通して、また聖霊の照示(注4)によって、各々の世代と文化に向かって語り続けておられる。
聖書は、全人類の生き方の上に、権威を持っている。聖書は、神について、また神の創造、神の民、神のひとり子、そして全人類の運命についての真理を教える。聖書はまた、救いの道と信仰生活について教える。しかし、聖書に見出されないことや、聖書によって証明されないことはすべて、信仰個条や救いに必要なことがらとされてはならない。

旧約聖書の権威

第109条:旧約聖書は、新約聖書に反するものではない。両方の聖書がキリストおける神の救いを証言し、神の民に関する神のみ心について語っている。式典と祭儀に関する古代の律法や、イスラエル国民のための市民法は、かならずしも現代のクリスチャンを拘束するものではない。しかし、私たちは、イエスの模範にならい、旧約聖書の道徳的戒めを守るべきである。
旧約聖書の諸巻は、次の通りである。
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記上、サムエル記下、列王記上、列王記下、歴代誌上、歴代誌下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ヨブ記、詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニア書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書。

新約聖書

第110条:新約聖書は、旧約聖書を成就し、また解釈する。それは、イエス・キリストと聖霊における、神の啓示の記録である。新約聖書は、人間とその罪、その救い、世界とその運命に関する、神の最終的な言葉である。
新約聖書の諸巻は、次の通りである。
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書、使徒言行録、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一、コリントの信徒への手紙二、ガラテヤの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、テサロニケの信徒への手紙二、テモテへの手紙一、テモテへの手紙二、テトスへの手紙、フィレモンへの手紙、ヘブライ人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙一、ペトロの手紙二、ヨハネの手紙一、ヨハネの手紙二、ヨハネの手紙三、ユダの手紙、ヨハネの黙示録。

5人間

自由な道徳的人格

第111条:神は人間をご自分の像(かたち)に似せて創造された。すなわち、罪なきものとして、また善と悪、正義と不義を選ぶことのできる自由と責任を持つ道徳的存在として創造された。アダムの子孫である人間は、アダムが犯した罪のために、その本性において腐敗しているので、生れながらに罪を犯す傾向性を持っている。人間は、自分自身の力と働きによっては、神との正しい関係を回復し、永遠の救いに値するものとなることはできない。全能の神は、三位一体の神のすべての力を働かせて、人間が、イエス・キリストを救い主であり主であると信じることによって、神の恵みに応答することができるようにして下さった。人間は、神の恵みと助けによって、自由意志により、よい働きをすることができるようにして頂ける。

生活と愛の律法

第112条:人間の生活のあらゆることがらに関する律法は、個人的なものであれ社会的なものであれ、神の二つの戒めに表現されている。すなわち、心をつくして主なる神を愛せよ、また、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ、という戒めである。これらの戒めは、神との関係において、また対人関係、対社会関係において、人間にとって何が最善であるかを啓示している。これらは、個人的および社会的行動における、人間の義務についての原則を提示している。これらの戒めは、神が唯一の主権者であることを認めている。すべての人間は、神によって、神の像(かたち)に創造されたものとして、性、人種、また皮膚の色の違いにかかわらず、同じ固有の権利を持っている。そういうわけで、人間は、その個人的、社会的、政治的行動において、神に絶対的な従順をもって仕えるべきである。私たちは、道徳律法の中に示されている権利の所有とその行使について、各自の人格、権利、最大限の幸福が尊重され、すべての人に保証されるように努力しなければならない。

善い働き

第113条:善い働きは、イエス・キリストを信ずる信仰の実である。しかし、善い働きは、罪からも、神の裁きからも、私たちを救うことはできない。私たちの善い働きは、神への敬虔と謙遜の心からなされ、またキリスト教の信仰と愛の表現として行なわれる時にのみ、神に受け入れられ、喜ばれる。しかし、善い働きによって、神の恵みを獲得することはできない。

6救い

キリストのいけにえ

第114条:キリストは、全世界の罪のために、一度限り、唯一の完全ないけにえを捧げられた。これ以外に、贖罪の行為は不必要である。ほかの何ものも、罪をあがなうことはできない。

キリストにある新しい生命

第115条:私たちが、新しい生命と神との正しい関係にあずかる道は、イエス・キリストにおける神のあがないの行為によって開かれた。神は、私たちが悔い改め、信仰をもってその恵みに応答するとき、聖霊によって、私たちに新しい生命を与え、神との交わりに入れて下さる。「義認」・「新生」・「神の子とされる」という三つの用語は、新しい生命に入り、そこにとどまるということが、どういう内容を持っているかをよく表している。

義認

第116条:「義認」という言葉は法律用語であって、それは、私たちがイエス・キリストにある新しい関係に入れられることによって、実際に義しい者とみなされ、私たちの罪科と刑罰から開放されるという側面を強調している。

新生

第117条:「新生」という言葉は生物学的用語であって、それは、キリストにある新しい関係によって、実際に私たちは、新しい生命と霊的性質を持つ者とされ、それによって、イエス・キリストを主として信じ、愛し、服従する生活が可能とされる、ということを表している。信仰者は、新生した者である。新しく創造された者である。古い生命は過ぎ去り、新しい生命が始まっているのである。

神の子とされること

第118条:「神の子とされる」ということは、温かさと愛、そして受容の心に満ちた、子としての身分に関する用語である。それは、キリストにある新しい関係によって、私たちが罪とサタンの支配から開放され、神が望まれるような子となった、ということを意味している。信仰者は、自分が神の子であるという、聖霊の証しを持っている。

聖化

第119条:聖化とは、キリストにある新しい生命とともに始まる神の救いのわざであって、それにより聖霊は人々を神に似たものへと新たにし、栄光から栄光へと、転機と過程を通して、キリストの似姿に変えていかれる。
それは、信者が信仰において神に降伏し、全き献身によって自分に死んだときに、聖霊が彼らに愛を満たし、罪からきよめることである。この神とのきよめられた関係は、改善され、心を聖別し、神のみこころへと向け直し、信者が日常生活で喜んで神に仕えられるようにする。
このようにして、神はご自分の民が、心と魂と思いのすべてをもって神を愛し、彼ら自身のように隣り人を愛するように解放される。

回復

第120条:クリスチャンは、救い主であり主であるイエスとの関係が深められてゆくことによって、救いのうちに保たれる。しかし彼は、罪の支配下に戻ることはなくても、生命の関係の中にありながら、聖霊を悲しませることはありうる。そのような時には、彼は聖霊の矯正を謙虚に受け入れ、イエスのとりなしに信頼して、その関係を修復しなければならない。
クリスチャンは、故意に罪を犯し、キリストとの関係を断つことができる。しかし、たとえそのようなことになっても、神のみ前に悔い改めることによって、罪の赦しが与えられ、キリストとの関係を回復して頂ける。なぜなら、すべての罪が聖霊にさからう罪というわけではなく、赦されない罪というわけでもない。神の恵みは、真実に悔い改める者にとって十分であり、また神の力により、彼らの生活は改善される。しかし、罪が赦されるからといって、クリスチャンは自由に罪を犯してよいということではなく、犯した罪の結果から免れられるということでもない。
神は、悔い改める信仰者を、愛の叱責、助言、そして受容を通して再起させるように、その責任と権威とを教会に与えておられる。

7教会

教会

第121条:教会は神によって創造された。教会は神の民である。キリスト・イエスがその主であり、かしらである。聖霊は、教会の生命であり、力である。教会は、神的であると同時に人間的であり、天的であると同時に地上的であり、理想的であると同時に不完全である。教会は有機体であって、不変の制度ではない。教会は、キリストにある神の目的を達成するために存在している。教会は、人々の罪をあがなう仕方で彼らに仕える。キリストは教会を愛し、教会のためにご自身を与えられた。それは、教会が聖く、汚れのないものとなるためである。教会は、あがなわれた者とあがなって下さる方との交わりであって、それは、キリストの教えに従って、神の言葉を宣教し、聖礼典を執り行うことによってなされる。フリーメソジスト教会の目的は、地上でのイエス・キリストの教会の、あるべき姿を代表することである。そういうわけで、フリーメソジスト教会は、その会員の信仰と生活に関して、具体的な献身を要求する。その要求とは、キリストを崇め、書かれた神の言葉に従うことを具体的に求めるものである。

礼拝に用いる言語

第122条:神の言葉と初代教会の習慣によると、公の礼拝、祈り、および聖礼典の執行は、人々に理解できる言語でなされるべきである。

聖礼典

第123条:水によるバプテスマと聖餐式は、キリストによって制定された教会の聖礼典である。これらの聖礼典は、信仰による恵みの手段であり、キリスト教信仰の告白の具体的な“しるし”であり、私たちに向けられた、神の恵み深い働きを指し示すサインである。神は、聖礼典によって私たちのうちに働き、私たちの信仰を活かし、強め、また堅固にして下さる。

バプテスマ

第124条:水によるバプテスマは、私たちの主によって命じられた教会の聖礼典である。それは、バプテスマの志願者が、信じる者に与えられるイエス・キリストのあがないの恩恵を受け入れることを意味すると共に、イエス・キリストを救い主として信じる信仰を宣言することである。
バプテスマは、割礼が旧い契約のシンボルであったように、新しい恵みの契約のシンボルである。また、私たちは、幼児がキリストのあがないの中に含まれていることを認めるので、両親または保護者が、クリスチャンとなるために必要な訓練を幼児に与えることを約束するときには、彼らの求めに応じて幼児にバプテスマを授けることができるという立場をとる。幼児が成長して、教会員として受け入れられる前に、彼らは自分自身で誓約を確認しなければならない。

聖餐式

第125条:聖餐式は、キリストの死によるあがないを表す聖礼典である。私たちが割くパンに与ることは、正しい心で感謝と信仰をもって受ける限り、キリストの体に与ることである。同じように、祝福の杯を受けることは、キリストの血に与ることである。聖餐式はまた、クリスチャンの交わりにおける、愛と一致のしるしである。
キリストの約束によれば、彼は聖礼典において実際に臨在しておられる。しかし、キリストの体は、ただ天的で霊的な仕方でのみ、与えられ、受け取られ、食せられる。聖餐式の要素であるパンとぶどう酒の本質に、変化が起こるわけではない。すなわち、パンとぶどう酒は、文字通りのキリストの体と血ではない。また、キリストの体と血が、文字通り、パンとぶどう酒と共に存在するのでもない。パンとぶどう酒は、決して礼拝の対象と考えられてはならない。キリストの体は、信仰によって受け取られ、食されるのである。

8終末について

神の国

第126条:神の国は、クリスチャンに使命と希望を与える、非常に重要な聖書的主題である。イエスはその到来を告知された。神の国は、信じる人々の心と生活のうちに、神の支配が確立されることによって、いま、実現される。
教会は、祈りと模範と福音の宣教を通して、神の国を建設するために指定された、神による適任のうつわである。
しかし、神の国は、また未来に属することがらであり、現在の世界の秩序に審判をもたらすキリストの再臨にかかわっている。その時、キリストの敵は征服され、神の支配は確立されるであろう。また、物質的にも倫理的にも、全宇宙が新しく造り変えられ、あがなわれた人々の希望は完全に実現されるのである。

キリストの再臨

第127条:キリストの再臨は確実なことがらであって、いつ、いかなる瞬間にでも起こり得る。しかし、その時期は、私たちに知らされていない。再臨の時には、キリストがすべての悪に対して最終的に勝利されるという預言が、全部成就されるであろう。それに応えて信仰者は、喜びに満ちた期待をもって、いつも目を覚まし、用意をして、勤勉に生きるべきである。

復活

第128条:正しい人も不正な人も、死者の中から体をもって復活する時が来る。善を行なった人々は生命を受けるために復活し、悪を行なった人々は刑罰を受けるために復活する。復活した体は霊的な体であるが、人格として完全であって、同一人物として識別することができる。キリストの復活は、彼を信じる人々が生命に復活することの保証である。

審判

第129条:神は、福音によって、また人々がこの世で行なったことに従って、義をもって世界をさばく日を定めておられる。

最後の運命


第130条:人間の永遠の運命は、神の独断的な聖定というようなものによってではなく、神の恵みとそれに対する人間の応答によって決まるのである。キリストを信頼し、イエスを救い主また主として従順に従う人々には、永遠の栄光に輝く天国と、キリストの臨在による祝福がある。しかし、最後まで悔い改めない人々には、神から切り離された永遠の苦しみの地獄がある。

9聖句引照

第131条:フリーメソジスト教会の教理は、聖書に基づき、聖書全体の文脈から導き出された。以下の引照は、それぞれの主題に関連した適切な聖句である。これらの聖句は、聖書の順番に従って挙げられているが、すべてを網羅しているわけではない。

聖なる三位一体(第111条参照)
創世1:1-1;出エジプト3:13-15;申命6:4;マタイ28:19;ヨハネ1:1-3;
5:19-23;8:58;14:9-11;15:26;16:13-15;2コリント13:13(NIVでは13:14)
子なる神-受肉(第103条参照)
マタイ1:21;20:28;26:27-28;ルカ1:35;19:10;ヨハネ1:1,10,14;
2コリント5:18-19;フィリピ2:5-8;ヘブライ2:17;9:14-15.
子なる神-復活と高挙(第104条参照)
マタイ25:31-32;ルカ24:1-7;24:39;ヨハネ20:19;使徒1:9-11;2:24;
ローマ8:33-34;2コリント5:10;フィリピ2:9-11;ヘブライ1:1-4
聖霊-その人格(第105条参照)
マタイ28:19;ヨハネ4:24;14:16-17,26;15:26;16:13-15.
聖霊-救いにおける働き(第106条参照)
ヨハネ16:7-8;使徒15:8-9;ローマ8:9,14-16;1コリント3:16;
2コリント3:17-18;ガラテヤ4:6.
聖霊-教会との関係(第107条参照)
使徒5:3-4;ローマ8:14;1コリント12:4-7;2ペトロ1:21.
聖書
権威(第108条参照)
申命4:2;28:9;詩19:7-11;ヨハネ14:26;17:17;ローマ15:4;
2テモテ3:14-17;ヘブライ4:12;ヤコブ1:21.
旧約聖書の権威(第109条参照)
マタイ5:17-18;ルカ10:25-28;ヨハネ5:39,46-47;使徒10:43;ガラテヤ5:3-4;1ペトロ1:10-12.
新約聖書(第110条参照)
マタイ24:35;マルコ8:38;ヨハネ14:24;ヘブライ2:1-4;2ペトロ1:16-21;
1ヨハネ2:2-6;黙示21:5;22:19.
人間
人間:自由な道徳的人格(第111条参照)
創世1:27;詩51:5;130:3;ローマ5:17-19;エフェソ2:8-10.
生活と愛の律法(第112条参照)
マタイ23:35-40;ヨハネ15:17;ガラテヤ3:28;1ヨハネ4:19-21.
善い働き(第113条参照)
マタイ5:16;7:16-20;ローマ3:27-28;エフェソ2:10;2テモテ1:8-9;
テトス3:5.
救い
キリストのいけにえ(第114条参照)
ルカ24:46-48;ヨハネ3:16;使徒4:12;ローマ5:8-11;ガラテヤ2:16;3:2-3;
エフェソ1:7-8;2:13;ヘブライ9:11-14,25-26;10:8-14.
キリストにある新しい生命(第115条参照)
ヨハネ1:12-13;3:3-8;使徒13:38-39;ローマ8:15-17;エフェソ2:8-9;
コロサイ3:9-10.
義認(第116条参照)
詩32:1-2;使徒10:43;ローマ3:21-26,28;4:2-5;5:8-9;1コリント6:11;
フィリピ3:9.
新生(第117条参照)
エゼキエル36:26-27;ヨハネ5:24;ローマ6:4;2コリント5:17;
エフェソ4:22-24;コロサイ3:9-10;テトス3:4-5;1ペトロ1:23.
子とされること(第118条参照)
ローマ8:15-17;ガラテヤ4:4-7;エフェソ1:5-6;1ヨハネ3:1-3.
聖化(第119条参照)
レビ20:7-8;ヨハネ14:16-17;17:19;使徒1:8;2:4;15:8-9;ローマ5:3-5;
8:12-17;12:1-2;1コリント6:11;12:4-11;ガラテヤ5:22-25;エフェソ4:22-24;1テサロニケ4:7;5:23-24;2テサロニケ2:13;ヘブライ10:14.
回復(第120条参照)
マタイ12:31-32;18:21-22;ローマ6:1-2;ガラテヤ6:1;1ヨハネ1:9;2:1-2;
5:16-17;黙示2:5;3:19-20.
教会
教会(第121条参照)
マタイ16:15-18;18:17;使徒2:41-47;9:31;12:5;14:23-26;15:22;20:28;1コリント1:2;11:23;12:28;16:1;エフェソ1:22-23;2:19-22;3:9-10;
5:22-23;コロサイ1:18;1テモテ3:14-15.
礼拝に用いる言語(第122条参照)
ネヘミヤ8:5,6,8;マタイ6:7;1コリント14:12-14.
聖礼典(第123条参照)
マタイ26:26-29;28:19;使徒22:16;ローマ4:11;1コリント10:16-17;
11:23-26;ガラテヤ3:27.
バプテスマ(第124条参照)
使徒2:38,41;8:12-17;9:18;16:33;18:8;19:5;ヨハネ3:5;1コリント12:13;ガラテヤ3:27-29;コロサイ2:11-12;テトス3:5.
聖餐式(第125条参照)
マルコ14:22-24;ヨハネ6:53-58;使徒2:46;1コリント5:7-8;10:16;11:20,23-29.
終末について
神の国(第126条参照)
マタイ6:10,19-20;24:14;使徒1:8;ローマ8:19-23;1コリント15:20-25;
フィリピ2:9-10;1テサロニケ4:15-17;2テサロニケ1:5-12;2ペトロ3:3-10;
黙示14:6;21:3-8;22:1-5,17.
キリストの再臨(第127条参照)
マタイ24:1-51;26:64;マルコ13:26-27;ルカ17:26-37;ヨハネ14:1-3;
使徒1:9-11;1テサロニケ4:13-18;テトス2:11-14;ヘブライ9:27-28;
黙示1:7;19:11-16;22:6-7,12,20.
復活(第128条参照)
ヨハネ5:28-29;1コリント15:20,51-57;2コリント4:13-14.
審判(第129条参照)
マタイ25:31-46;ルカ11:31-32;使徒10:42;17:31;ローマ2:15-16;14:10-11;2コリント5:6-10;ヘブライ9:27-28;10:26-31;2ペトロ3:7.
最後の運命(第130条参照)
マルコ9:42-48;ヨハネ14:3;ヘブライ2:1-3;黙示20:11-15;21:22-27.

B.会員制度

特権と資格

第150条:教会における正会員の特権と資格は、教憲によって規定されるべきことがらであって、その変更は、第210条から第213条に基づく修正によってのみなされる。会員の入会式には、以下の条項に定められた会員の条件と特権に反するいかなる規定も含まれてはならない。
第151条:正会員の資格は、次の通りである。
1.キリスト教のバプテスマを受けていること、新生に関する個人的体験を告白すること、そして、全ききよめの体験を持たない者は、それを得るまで熱心に追求することを誓うこと。
2.「信仰箇条」、「誓約」、クリスチャンの目的に沿った行ないと教会政治に関して「教憲教規」を受け入れること
3.教会を支え、教会員との交わりに生き、教会の働きに積極的に参加し、すべてのことにおいて神の栄光を求めることを誓約すること
4.教会役員会によって入会を承認され、志願者が会員としての誓約を公に宣言すること。
第152条:正会員の権利は次の通りである。
1.教会の聖礼典および諸儀式に参加することができる。
2.教団総会の規定する年齢に達した者は、選挙権と被選挙権を持つことができる。
3.会員の条件を守っていないとして、その過失を訴えられた場合、教会裁判を受けるために控訴することができる。ただし、他の宗教団体や分派に加入した場合には、教会裁判によらずに、そのこと自体によって会員権を失う。
第153条:会員権は、次の項目のいずれか一つに該当する場合にのみ、喪失する。
1.自発的に退会した場合(告訴のもとに、退会を認められた場合を含む)。
2.他の宗教団体、分派、または秘密結社に加入した場合。
3.正規の簡易手続きによってか、または教会裁判による有罪判決によって除名された場合。
4.教会の司牧地域から離れた遠隔地に居住している会員が、長期間にわたって教会との連絡を故意に怠った場合。これは事実上、自主的な退会とみなされる。

C誓約

特権と責任

第154条:教会の会員であるということは、大いなる特権であると共に、責任を伴うことである。会員に要求される誓約は、書かれた神の言葉、すなわち聖書の教えに一致していると私たちは信じる。誓約への忠実さは、各会員が次のことを熱心に願い求めているという証拠である。すなわち、私たちは、誓約を忠実に実行することによって、救いをもたらす主イエス・キリストとの交わりを保ち、神に栄光を帰し、地上における神の使命を押し進め、キリストのからだの一致を守り、フリーメソジスト教会の交わりを育成することを願い求めていることを示すのである。
第155条:会員が誓約を守らなかったり、あるいは常習的に誓約を破るような場合、その間違いを指摘し、その会員が立ち直るように愛をもって努力することは、教職と会員の責任である。これらの努力がなされたあと、なおその会員が誓約を守らないならば、教会はその正当な手続きに基づいて、彼を取り扱わなければならない。
第156条:フリーメソジスト教会の会員は、聖霊の力に信頼し、教会の他の会員の支えを求めつつ、主と教会とにたいする誓約として、以下の告白と献身の表明をしなければならない。

告白と献身

私はイエス・キリストを、私の個人的な救い主、また主と告白します。私は、信仰によってキリストと共に歩み続けます。私は、全ききよめの恵みを頂き、神を深く知るために、私自身を献げます。

神について

第157条:
神の民として、私たちは神をあがめます。
私たちは、個人的な礼拝(デボーション)の習慣を養い、互いの説明責任を果たし、個人的な祈りと共同の祈りを行ない、みことばを学び、主日礼拝と聖餐式に参加します。
私たちは、礼拝のため、心身の刷新と奉仕のため、「主の日」を守ります。
私たちは、キリストとその教会に忠誠を尽くし、キリスト者の献身に反するいかなる協力関係も避けます。
私たちはこのことを、神の恵みと力によって行ないます。

私たち自身と他の人々について

第158条:
神の民として、私たちは、健全で聖なる生活をし、すべての人々に同情を示し、
肉体的な必要と霊的な必要の両方のために奉仕します。
私たちは、心をけがしたり、身体を害したり、それを促すような行動と態度から自由であるようにします。
私たちは、神のかたちに造られたすべての人々の価値を尊重します。
私たちは、すべての人間関係や商取引において公正と誠実であることを務めます。
私たちはこのことを、神の恵みと力によって行ないます。

神による制度について

第159条:
私たちは国民として、家庭、国家、教会について神が定められた制度を尊重し、支持します。
私たちは、聖なる愛に結ばれた一人の男性と一人の女性の結合としての結婚の神聖と、彼らが形成する家族を尊重することに尽力します。
私たちは子どもたちを大切にし、育て、キリストにおける信仰に導くことに全力を尽くします。
私たちは、責任ある市民となるよう努め、指導的な立場にある全ての人々のために祈ることに全力を尽くします。
私たちはこれらのことを、神の恵みと力によって行います。

教会について

第160条:
神の民として、私たちはこの世でキリストのいのちをあらわします。
私たちは、私たちのすべての関係における愛と理解において、誠実を養い、教会の一致に努めます。
私たちは、神の栄光と教会の成長のために、クリスチャンとしての管理責任を果たします。
私たちは、この世に出て行き、キリストの弟子をつくります。
私たちはこのことを、神の恵みと力によって行ないます。

第2章「共通教憲」続き

一般組織

第200条

A.年会

年会は、地域レベルでの規範的なフリーメソジストの組織であり、牧師や会衆に合理的な範囲の管理(care)を提供するとともに、神の王国を効果的に拡大するための構造を提供します。フリーメソジスト教会の各年会は総会の構成会員である。

B.総会

総会はフリーメソジスト教会の運営機関である。各総会は、少なくとも1つの年会で構成される。または、必要に応じて、第220条Bに規定されている年会の機能を遂行するための代替機能を設けることができる(詳細は第220-222条を参照)。

C.世界会議

フリーメソジスト世界会議は、総会の指導者間のコミュニケーションと調和のとれた関係を促進することにより、総会のビジョンを調整するために存在する。また、教憲に関する課題の解決にも資する(詳細は第230参照)。さらに、世界会議は、加盟する総会に対し、近隣の年会や総会と協力して、すべての国民を弟子とするという大宣教命令を果たすような仕方で共に働くことを奨励する。

D.ビショップ会議

総会および予備総会のビショップで構成されるビショップ会議は、第240に概説されているように、親睦、相互協議、説明責任、およびフリーメソジストの諸活動を通じて、神の国の拡大を目的として存在する。

フリーメソジズムの共通教憲の制限規定と修正方法

第210条

フリーメソジズム共通教憲の前文、信仰箇条、会員規約、一般組織、制限規定および修正方法(第100-240条)は共にフリーメソジズム共通教憲を構成する。このフリーメソジズム共通教憲は、すべての総会を拘束し、各総会の教憲教規の一部としなければならない。
これらの条項は、意味が変わらない限り、口語英語や慣用英語を含むさまざまな言語や方言に翻訳することができる。第213条を除く第100条から第240条は、第230条Bに規定されているすべての総会で投じられた総投票数の3分の2の同時承認によってのみ変更、修正、または取り消しすることができる。但し第213項はいかなる形でも修正または変更することはできない。

第211条

第100条~第212条および第220条~第240条を修正する提案は、総会の3分の2の多数決によるか、フリーメソジスト世界会議の3分の2の多数決によるかにかかわらず、第230条Bに規定されている。提案は世界会議実行委員会に付託されるものとする。その後、世界会議実行委員会は、第230条Bの規定に従って、すべての総会における修正案に対する一般投票を監督するものとする。

第212条

フリーメソジスト教会のいかなる総会も、総会の投票によって、あるいは総会と年会の同時投票によって、下記規定と矛盾するいかなる命令、方針、規則を独自に制定することや、下記規則の変更、削除、付加をすることはできない。
A.第100条から第160条に規定されている信仰箇条、会員規約、会員の条件または基準、教義の基準または規則。または:
B.第220条から第240条のいかなる部分も、あるいはいかなる統治の規則であろうと、実行委員会および委員会(ビショップ会議を除く)における信徒および教職の実質的に平等な(1つの会の中で、という意味)代表制を廃止するか、または(年会・総会で任命された)巡回教師、または総合的な監督制を廃止するような制定、変更、削除、付加をすることはできない。しかし:
C.前述のAおよびBに指定された部分の変更は、上記の第210条~第211条に記載された手順によってのみ行うことができる。

第213条

フリーメソジスト教会のいかなる総会も、いかなる手続きまたは方法(この第213条の削除または修正を含む)によるフリーメソジスト教会のすべての総会は、規律(discipline)の下にある教職または信徒から、公平な委員会による裁判を受ける権利、または控訴する権利を剥奪する権限を有しない。

総会

第220条

A.一般原則

フリーメソジスト教会は、信仰と交わりの一致を保持する必要を認めているが、民族、言語、文化の独特な特質を許してもいる。そこで、一つあるいは複数の民族のフリーメソジスト教会が一つの総会に組織される道を備えてもいる。それには第222の要求が満たされ、保持される必要がある。現状での霊的、政治的、経済的ないしは文化的な実態が一つの総会の形成を不可避のものとする場合、これらの地域は年会もしくは予備総会として存続することが許される。
一つの総会が複数の民族を内包する可能性はあるが、一つの民族の内に複数の総会があってはならない。この原則への例外は、世界会議の承認を受けるものとする。
一つの総会に複数のビショップを選出する必要が生じる場合、ひとたび選出されたビシップたちはビショップ協議会を組織する必要がある。その場合、各ビショップには一つの地区に対する責任が与えられ、それぞれの場において各々は任じられた地域の民族の法律やその総会の諸規則にしたがって、任務を与えられた地域のための合法的な地域代表の立場が与えられねばならない。

B.地位

現存する諸総会は、総会の立場を保持するために、第222の要求を満たし続けなければならない。
1.現存する総会は、戦争とか経済的な危機といった物理的ないし倫理的な危機が原因による、存在への重大な脅威を経験している場合、仲介とか、しっかりした組織的な対応策を提案することができる。世界会議の実行委員会は、こういった提案に対して暫定的な規則を策定する権限を有する。その際、これらの規則は、承認を受けるために世界会議に提出されなければならない。
2.ある総会が、もはや第222条の要求を満たせないということが世界会議の実行委員会に報告されるような事案においては、世界会議実行委員会はその案件について、状況の見通し案を策定しなければならない。また、その見通し案を策定するために、ビショップ会議のメンバー(構成員)を活用することができる。
a.もし、その見通し案に、措置の必要がないと認められる場合、その議案は取り下げられなければならない。
b.何らかの行動が要求される事案の場合、世界会議実行委員会は、カウンセラー(顧問)を任命しなければならない。また、その総会の修復を補佐するためにビショップ会議の構成員を活用することができる。
c.もしも、修復がうまくいったならば、その議案は取り下げられねばならない。
d.総会としての必要条件を満たすことができない場合、総会はその過半数の投票により、予備総会の地位または年会の地位に戻るよう要請することができる。その場合、世界会議実行委員会は要請に基づいて行動し、総会に割り当てるものとする。総会が上記の適切な行動を取らない場合は、世界会議実行委員会は勧告を添えてその問題を世界会議に提出し、投票を求めるものとする。

C.教憲の変更

第210条に定義されているフリーメソジスト主義の共通教憲を変更しようとする提案は、第230条Bに示されているように、総会によって発議され得る。

D.世界会議との関係

各々の総会は、第230条に示されているように、フリーメソジスト世界会議の役割を承認しなければならない。
1.各総会は、第230条D-1に定められているように、世界会議に代表を送らねばならない。
2.各々の総会は、世界会議の議長がその規則、規律、および方針の全てを含む現行の教憲教規の写しを持っていることを確実なものとしなければならない。もしも、フリーメソジストの共通教憲にある個別条文の合意についての疑義が出されるならば、第230条Cの手続きが適用されなければならない。
3.ある総会もしくはその実行委員会(理事会)は、代表者の協力する集まりである世界会議の実行委員会に対して、別の総会との間に「責任地域」の重なる所があること、諸資格の認識、またその他の相互関係の規約に関わる問題が生じている場合、それを照会することができる。世界会議の実行委員会は関わり方を、カウンセリングと調停のための仲介に制限しなければならない。それら双方の総会に満足のいく解決方法が見いだせない場合、その事案は次回の世界会議の開催時に取り扱うこととし、その裁定が最終決定とする。4.ある総会の実行委員会は世界会議の実行委員会に対して、自己総会内における対立解消の手助けのためにカウンセリングを要請することができる。世界会議の実行委員会(第230.Gを参照)はその関わり方を、カウンセリングの提供と協力調停のための仲介に制限しなければならない。もし、その対立に関して満足のいく解決方法が見いだせない場合、その事案は次回の世界会議の開催時に取り扱うこととし、その指導権が優位を得る。
5.総会は、どのような状況にあっても、教団を離脱するとか、別の教団に加入するというような決議をすることは許されない。また、新しい教団になろうとする意図をもった名称変更の決議は許されない。上述のいずれかをなそうとする如何なる行為も、非合法なものとして禁じられる。また、世界会議は、その総会の働きを一時的に停止させ、その総会の領域内にある忠実な構成要素を再組織し、他のすべての教職者や信徒たちに対してフリーメソジスト教会から引き下がるよう宣言し、またその資産はフリーメソジスト教会が保持することを確かなものとしなければならない。
6.可能であれば、幾つかの総会は、地域連盟(または、それに相当するもの)のようなグループを発展させるため、近隣の年会や、総会、ないしはフリーメソジストの宣教団体と協力して活動しなければならない。その目的は、洞察の交換、霊的カウンセリング、相互の励ましあい、ビジョンの公表、方策の立案などを提供しあって、フリーメソジストの諸活動を介して福音をより効果的に世界に伝えることである。
この種の友好的な組織は、人々の独特なビジョンや宣教活動に沿って、諸教憲のもとで活動しなければならない。こういった諸教憲やそれらの変更は、世界会議の実行委員会によって承認され、また世界会議によって批准されなければならない。世界会議によって承認されたこの種の団体には、定期世界会議の議場で、名誉ある一議席が与えられなければならない。

E.教会の名称

いかなる教会やその他の組織は、フリーメソジスト世界会議、あるいは総会、もしくは総会が承認した宣教団体や協力機関の明らかな許可を得ないで、「フリーメソジスト」という名称を用いることはできない。「フリーメソジスト教会」という名称の使用を用いることができないか、実際的でない地域においては、総会、または総会会期の中途期間においては総会の実行委員会が、教会名の使用また適用を許可する権限を持っており、最終的には世界会議の承認に服するものとする。

第221条

予備総会

A.1つまたは複数の年会は、予備総会としての地位を得るために所属する総会に請願することができる。この中間発展段階では、現地人の指導者たちに指導を提供する。これらリーダーたちは国際的な教会の相互依存の性質を、相互依存と責任のシステムと共に喜んで受け入れ、支援する総会の指導者とそのビショップの指導の下で、賜物、恵み、権威を行使することによって成長するのである。
予備総会は教会の使命を実行するにあたり、独自な宣教とビジョンの表明を発展させ、さらにその文化の中で教憲教規を解釈し適用するために、そのビショップ代理の指導の下で一定の統治権と自立性を受ける。
以下の基準を達成すると、支援している総会の実行委員会は、要求された予備総会の結成を承認する。
1.霊的深さ、および誠実さと指導体制における成熟さの事実。
2.過去、数年間における会員数の成長パターン。
3.伝道的、かつ異なる部族や人種グループに対する働きかけの計画をもって外部へ働きかける教会であることの事実。
4.教憲教規(あるいはそれに該当するもの)に明示されているような、フリーメソジストの教理と実践に対する忠誠が見られること。
5.ウェスレー・アルミニアンの教理について、聖書的、神学的な教義を理解し、関連づけ、それに熱心に取り組む能力があるという事実。
6.フリーメソジストの共通教憲、およびその文化と規模に最適な組織構造を含めて、それが属する総会によって明示された原則(ガイドライン)に沿って、特徴のある枠組みを発展させていること。
7.年ごとの監査がなされる適切な経済力と安定性。
8.通常、3000名の成人会員と20名の長老がいること。
9.支援している総会のビショップによって指導されるビショップ代理の推挙。
B.宣教関連人事および財産に関するフリーメソジスト宣教団体または教会との契約合意は、宣教団体または教会および、あるいはその支援している総会と再交渉されるまで有効であるものとする。
C.監督するビショップ、ビショップ代理、および予備総会の実行委員会の信徒2名で構成される委員会によって、上記の前提条件が満たされていることが証明された場合支援している総会に正式な請願書を提出することができる。支援している総会には、新しい総会の設立と1名または複数のビショップの選出を認可する権限がある。
D.予備総会は、支援している総会の実行委員会の承認に従って、この状態を無期限に継続することができる。
E.これらの確立された基準からの重大な後退、または何らかの理由で適切な指導体制の不全により、支援している総会の実行委員会によって予備総会の地位が取り消される場合がある。

第222条

新しい総会

A.新しい総会は、その地位を求める予備総会が、第210条に定義されている全ての総会に拘束力のあるフリーメソジズムの共通教憲の規定を教憲教規の一部として採択し、以下の基準を満たしているという理由で支援している総会の実行委員会によって推薦されている場合、支援している総会の実行委員会によって認可される。
1.すべてのレベルにおいて、経済的に実体のある、自己保全のできる組織構造を持つこと。
2.新しい回心者の訓練において、健全な教会員の育成と訓練、また信徒奉仕者の育成において、牧会者を指導する組織的な計画があること。
3.任職される教職者を見いだし、訓練する組織的な計画があること。
4.通常、最低でも5000人の成人会員と30人の長老がいること。
5.地域的にも世界的にも、教会数を増やす(少なくとも新しい人々のグループをつくる)ための組織的な計画があること。
6.支援している総会の実行委員会による承認のために、教憲教規の全体像を再確認すること。そこに宣教とビジョンの表明が含まれており、すべての役員や諸グループに関する写しが印刷されて備わっていること。
7.予備総会全体に意志の疎通が成り立っていること。
8.生活と財産について、実効性と責任ある管理がなされていること。そこには基金の適切な収支、年ごとの監査、自身の実行委員会または支援している総会への報告が含まれる。
9.地域の法律によって要求される財産保持の機構があること。
B.フリーメソジストの宣教団体または協力会との宣教人事および財産に関する契約は新しい総会と宣教団体または協力会および/または支援している総会との間の新しい関係を反映するように再交渉されるものとする。
C.上記の前提条件が満たされたことが実証できるとき、正式の願書を、支援している総会の実行委員会に対して提出することができる。それは予備総会となろうとするものの組織化を認可し、教憲教規の全体を承認したことを意味し、ビショップ代理を選出する権限を持つものとなる。支援している総会のビショップは、合意できる時を見計らってその新しいビショップ代理を任職しなければならない。
D.支援している総会から新しい総会が独立自治することが最終決定されるのは、予備総会が正式に召集された集会で、支援している総会のビショップが司式する式典の後に正式なものとなる。この式典の後に、代議員が集まっている場において、新しい総会は世界会議の自律の加盟総会として、重要な、あるいは緊急の業務を遂行するために総会を招集することができる。

世界会議

第230条

A.目的

フリーメソジスト世界会議は、次のことを目的として存在している。すなわち、各地域の総会と各地域連盟の交わりの中にあって、指導者間の意思疎通と調和のある関係とを促進し、教憲に関連する諸問題の解決を促進することである。この目的に相応するために世界会議が負う責任は次の通りである。
1.フリーメソジストの様々な機関に対して、世界全体に広がる交わりを提供し、全世界に広がる宣教を調整し計画するために、フリーメソジストの様々な機関の代表者たちによる世界大の集会を招集すること。
2.ウェスレーの教理と実践に相応する福音宣教を通して、現存する諸教会および新しい地域において、フリーメソジスト教会による神の国の広がりを奨励すること。
3.以下に定義されるように、フリーメソジストの教憲に関する諸問題において、法的および裁判上の権威を持つものとする。
4.フリーメソジストが持つ「共通教憲」(第210条を参照)と各総会による「教憲教規」の規定に基づいて、フリーメソジストの各機関の保全状態を監査すること。
5.聖書神学とウェスレーの教理に基づいて、フリーメソジストの指導者たちを成長させるため、国際的な奨学金を維持し総括することとする。

B.法的な権威

世界会議は、以下の諸規定に従って、一般投票に関わるすべての問題に関して、各総会の投票を監督する権威を有するものとする。
1.(第213条を除く)教憲の修正案は、総会の三分の二の多数決投票によって、あるいはフリーメソジスト世界会議の会期中の場合には、その三分の二の多数決投票によって開始されるものとする。次にその修正案は、フリーメソジスト世界会議実行委員会の監督の下に、すべての総会によって一般投票に付されるべく通達されるものとする。
一般投票として承認されるためには、すべての総会による投票総数の三分の二の投票が必要とされる。ある総会の組織が、600名の正会員につき1名の教職および1名の信徒代議員に相当する構成要件を満たさない場合には、その投票結果は600名の会員につき二票という投票の価値を持つように調整されるものとする。
2.フリーメソジスト世界会議実行委員会が一般投票を通達して4年以内において、ある総会が、当該の問題に関する投票権を放棄することなく投票のために集合して世界会議実行委員会に報告を上げることが不可能な場合、その総会の実行委員会が代わりに投票しても良いものとする。実行委員会による投票結果は、その総会の代議員数に比例した投票結果として報告するものとする。この総数の三分の二の投票数は、許された4年以内に報告された投票者数に基づいたものとする。
3.投票が終了した場合、世界会議実行委員会は、すべての総会に対して、文書によってその投票結果を公的に宣言するものとし、投票結果はその日付をもって有効となるものとする。

C.司法的権威

フリーメソジスト世界会議は、総会間で生じ裁判に訴えるような諸問題および、第220条D-4および第220条D-5において定義されているような内的な争いに関して、第210条に定義されているように、すべての総会を拘束するフリーメソジスト「共通教憲」と規定の遵守を維持する責任を有するものとする。
世界会議は、諸総会に対して、以下のような裁判上の権威を有する。その様々な責務は、以下のものとする。
1.世界会議実行委員会を通じて、すべての総会の法制、職制、政策を点検し、
第210条に定義されているように、すべての総会のために定められたフリーメソジストの共通教憲の規定を遵守していないと申し立てられている、あらゆる動きを調査することである。
a.世界会議実行委員会が、ある総会の行動がフリーメソジストの共通教憲と衝突していると決議した場合、その総会は、文書が受領されたことをもって、当該の行動を中止するものとする。
b.文書による要求がなされた後で、総会あるいはその実行委員会の三分の二の投票によって認可された場合、通知文書が受領された1年以内に、世界会議に対して訴えを行うことができる。
c.総会あるいは複数の総会の代議員およびビショップが、世界会議に対して訴訟などの申し立てを起こした場合には、証拠を提示した後に、彼ら/彼女たちが直接の利害を保持している問題に対する投票を差し控えるものとする。
d.その訴えが、世界会議の単純多数決投票のみによって支持された場合には、総会はその行動を再開することができる。
e.その訴えが、世界会議の単純多数決投票のみによって否定された場合には、違反とみなされたその総会の行動は永久に中止されるものとし、その効果は完全に無効とみなされる。
f.第230条C-1-aに規定されている行動を中止させるとの世界会議実行委員会の裁定による文書通知がなされた上で、あるいはその後に、第230条C-1-eに規定されている行動を永久に中止させるとの世界会議の裁定による文書通知がなされた上で、その行動に疑義が生じた総会が初めの状態に留まることを拒否するならば、世界会議またはその実行委員会はその総会の機能を停止させ、実行委員会の判断として、その総会の地域内におけるフリーメソジストの忠実な要素(「人々」訳者註)を再組織させ、それら以外のすべての教職および会員たちに対して、フリーメソジスト教会から退去するように宣言するものとする。2.境界線、証明書の認証、管轄範囲内の他の事項に関して、総会間に生じる問題を、第220条D.3の規定に従って、問題の裁定をはかること。
3.第220条D.4の規定に従って、総会の内部で起こる衝突に対する決議のため援助することである。

D.組織と構造

1.投票できる代議員
世界会議において投票できる代議員は、以下の基準に従って、信徒代議員と教職代議員とが完全に同等な代表体を形成するものとする。
a.総会と予備総会のすべてのビショップは、代議員になるものとする。各ビショップに信徒代議員1名が選出されるものとする。
b.1名のビショップと50,000名の会員からなる総会には、教職の代議員と信徒代議員をそれぞれ1名ずつ追加する権利を有するものとする。
c.1名のビショップと100,000名の正会員からなる総会には、教職の代議員と信徒代議員をそれぞれ2名ずつ追加する権利を有するものとする。
d.一つの総会は、3名以上のビショップが存在しない限り、6名以上の代議員を保持しないものとする。
2.名誉職としての代議員
a.それぞれの地域連盟は、代表を1名派遣するものとする。
b.フリーメソジストの宣教団体と関連協会および各地域連盟の代表は、発言はできるが投票権のない名誉代議員となるものとする。
3.世界会議は、少なくとも四年に一度は会議を持つものとする。特別会議は、世界会議実行委員会の三分の二の多数決によって、召集することができる。メール、電話会議あるいは他の電子的手段によっても、世界会議の会議や行政上の諸問題に関する投票権が与えられるものとする。
4.世界会議実行委員会のメンバーは、その会議の期間中に、世界会議によって選出されるものとする。それぞれの総会から選ばれた1名の代表からなる指名委員会は、世界会議の会期中の最初の会議の中で選任されるものとし、世界会議の役員と世界会議実行委員会の無任所役員の指名のための名簿を提出するものとする。指名委員会は基本的に、信徒の代表と教職の代表とが同数となるようにするものとする。
5.世界会議の委員会は次のとおりとする。
a.世界的な影響に関して:あらゆる言語と部族、国家と国民への使命(黙示録7:9)。
b.特別な使命に関して:開発、医療、救援。
c.リーダーシップ開発に関して:神学教育、奨学金、リーダーシップ訓練。
d.教憲関連事項に関して:地域フェローシップ規則、投票、世界会議規則、
教憲遵守。

E.世界会議の役員

役員の構成は、議長、副議長、および書記会計とする。
1.役員は、世界会議実行委員会のメンバーとなる。
2.役員の任期は、二期とする。一期は、世界会議の定期会議から次の定期会議の期間とする。

F.世界会議実行委員会

世界会議実行委員会は、少なくとも二年に一度(ビショップ会議と世界会議のそれぞれの会期と同時期に持たれることが望ましい)、会議を持つものとする。
世界会議実行委員会は、議長、副議長、書記・会計および3名の無任所役員と共に前任の議長によって構成される。その構成員は、世界全体にわたる公平な代表となるようにし、また実行委員会において信徒と教職のメンバーが実質的に同数となるように選任されるものとする。
1.議長は、会議の議長を勤めるものとする。
2.世界会議実行委員会は、世界会議のスケジュールの割り当てを含む予算を提示し、世界会議の承認を得るものとする、
3.世界会議実行委員会は、その行動に関して世界会議に服従する義務がある。世界会議実行委員会に欠員が生じた場合、残余のメンバーが次期世界会議まで、その欠員を補充するために、それ以前の世界会議の代議員から(が望ましい)一名を選任することができる。
4.指名された世界会議実行委員会のメンバーは、それぞれの地域連盟(またはそれに相当するもの)において、世界会議を代表する役割を持つことができる。

G.総会実行委員会との関係

1.世界会議(あるいは世界会議実行委員会)と総会(あるいは総会がその責任を担っている予備総会)との間のすべての交渉は、総会実行委員会によって行われるものとする。
2.それぞれの総会実行委員会の議長(日本総会ではビショップである理事長-訳者註)は、世界会議との公的な通信に対して責任を負うものとする。(彼あるいは彼女の)総会の実行委員会が世界会議で行われている出来事について十分な情報を得ているようにすることが議長の義務である。
3.世界会議と総会および予備総会、あるいはそれぞれの実行委員会との間のすべての公的な文書は、適切に保管されて、ビショップあるいは総会の最高位の実行役員と実行委員会が利用できるようにするものとする。

ビショップ会議

第240条

A.総会および予備総会のビシップは、親睦、相互助言、説明責任、そしてフリーメソジスト奉仕活動を通じて神の国を拡張するために、共同してビショップ会議を構成するものとする。ビショップ会議は通常四年ごとに開催され、世界会議と世界会議の真ん中に近い時点で開催されるものとする。
B.ビショップ会議は、それ自身の実行委員会を選出するものとする。ビシップ会議は、議長、副議長、書記で構成され、その活動を監督する責任がある。
C.総会にビショップが1人しかいない場合、ビショップ会議の実行委員会は、別のビショップをその総会の顧問として出席するよう任命し、主管ビショップの助言者として奉仕するものとする。もし、任命されたビショップが、総会の手順または方針において不正行為を観察した場合、任命されたビショップは、このことについて主管ビショップに注意を与え、そしてこれを記載した報告書を世界会議執行部に提出しなければならない。任命されたビショップはまた、ビショップ選挙を主宰するものとする。
D.総会の実行委員会が、総会のビショップに関して叙階の誓いに違反した証拠を受け取った場合、ビショップ会議実行委員会は、直ちに通知されねばならない。ビショップ会議実行委員会は代表者を任命し、総会の教憲教規(またはそれと同等の規定)による聴聞過程を監視し支援させる。
違反行為があった旨の判決及びこれに関連する懲戒は、世界会議の実行委員会に上訴することができる。但し、それは教憲教規で提供される手続きに従って行われなかった場合のみ赦される。世界会議の執行委員会は、判決を総会に差し戻すこと、あるいは手続きが適正に行われたと判決を下すことができる。それによって判決は最終のものとなる。

第250条

特に総会に関連しての組織と政府の諸条項

第250条の条文は、特別に総会が行う宣教の文脈に相応するように、教規と諸法規のために保留されたものである。

第3章日本フリーメソジスト教団

A.教会、教区および教区会

第1条:教団の信徒会員は、各個の教会または伝道所に教籍を置く。
第2条:教団に教区を置き、教区の会議を教区会という。

B.教団

第10条:教団は、すべての教会および伝道所によって構成され、教団の会議を教団総会という。

C.理事長

第11条:教団に理事長を1名置く。