教団標語

「御霊の結ぶ実」

教団理事長 馬場一朗

2023年度の教団標語を「御霊の結ぶ実」とさせていただきました。
聖句はガラテヤ五章22~25節です。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」
(ガラテヤ五・2~25口語訳)

ここには、神の「全き愛」により救われ、聖別され、キリスト・イエスのものとされた私たちが、御霊によって「全き愛」に生きる者とされ、御霊の実を結ぶ人生の素晴らしさが描かれています。
「愛」(アガペー)が最初に書かれていますが、その後の八つの実と並列されるというよりも、「愛」の実が、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であると受けとめてもいいのではないでしょうか。

もちろん、この御霊の実を結ぶためには、「自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまった」経験を必要とします。キリストの十字架の死と復活を、私も共に十字架に死に、キリストと共に復活させられた者であることを、御霊によって教えられ、信仰によって受け取ることにより、御霊によって生きる者とさせていただいたのです。

パウロによれば、「洗礼によって肉にとどめを刺した」のであり「キリストと共に十字架につけられ、古き人は死んだ」(ガラテヤニ・1)のですから、今は、「復活されたキリストが私の内に生きておられる」(ガラテヤニ・20)信仰に生きているのです。

そのように新しくされた者が、どうして実を結ばないでおられるでしょうか。御霊が実を結ばせてくださるのです。そこには御霊の自由があります。感謝があります。喜びがあります。
それが、メソジストを「御霊のき「よめの証人」として今日に至るまで、神が用いてくださった理由なのです。ですから、私たちは、「全き愛」を大切にするのです。

これは、教団総会資料の理事長報告に書かせていただいたことでもありますが、代議員の方しか読んでおられないかもしれませんので、再度、引用します。

ジョン・ウェスレーによれば、

「メソジスト教徒とは、彼に与えられた聖霊により、神の愛が心の中にそそがれ、愛に満ちた者のことである。そして、神は主なる神を、その心と精神と思いと力とのすべてをもって愛する。彼は、たえず喜び、たえまなく祈り、すべての事柄において感謝する。彼の心は、全人類に対する愛で満ち、ねたみや敵意や怒りやすべての不親切な性情から清められている。その唯一の望み、唯一の生活の目的は、自分の意志を行うことではなく、彼をつかわして下さった方の意志を行うことである。

彼はすべての人に対して善をなす。その人が隣人であろうと見知らぬ人であろうと、友人であろうと敵であろうとである。

以上のことがわれわれの教派の原則であり、実践である。これが真実のメソジスト教徒の特徴である。この特徴によってだけ、メソジスト教徒は他の人々から区別されることを望むのである。」

明石上ノ丸教会の礼拝堂に、堺キリスト教会員である居谷康子姉が揮毫された「全き愛」という大きな額が掲げられています。主の日の礼拝のたびごとに、牧師の説教を背後から支えるかのように迫ってきます。目に、心に、焼き付けたいと思います。

教団機関誌『全き愛』2023年4・5月合併号№804より